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ブランド「クレージュ」の現在は?まだあるの?

クレージュのピンクのコート

1960年代に大流行したクレージュ(courreges)が若い子たちを中心に人気再燃です!かつて日本でも販売されていた古着は争奪状態ですが新生クレージュも大人気!特に2022年秋冬のルックは全盛期を彷彿とさせるものでした。クレージュの代表的なデザインは?復活の理由は?現在はどこで買えるの?記事で詳しく!

クレージュのマーク
ざきこ

この記事は下記のような方のお役に立ちそうです

昔クレージュが好きだった

クレージュの現在が気になる

どこで買えるのか知りたい

目次

クレージュはどこの国のブランド?

南フランスのナヴァール地方出身のアンドレクレージュ(Andre Courreges)が、妻のコクリーヌ・バリエール(Coqueline Barrière)と共に1961年にパリでメゾンを開設しました。

クレージュの意味は

Courrèges(クレージュ)はデザイナーの André Courrèges(アンドレ・クレージュ)が自身の名を冠して います。

アンドレクレージュという人物

アンドレクレージュは南フランスのナヴァール地方の中心都市ポーの町で地主の息子として生まれました。

当初は土木建築学を学んでいましたが兵役についたことをきっかけに飛行学校で学び、空軍パイロットとして兵役に従事。

しかし第二次世界大戦中にフランス空軍のパイロットに従事したアンドレは、徐々にファッションに興味を持ち始め、大戦後からパリに出てファッションの道に進むことを決意しました。

1946年、パリ高等服飾産業学院に入学し、47年にジャンヌ・ラフォーリのメゾンに入りデザインの基礎を学びました。

1951年Cristóbal Balenciaga(クリストバル・バレンシアガ)のメゾンに入り、バレンシアガのもとで 衣裳構築の美学と技術を学び10年働きました。

妻のCoqueline Barrière(コクリーヌ・バリエール)とはバレンシアガのアトリエで出会い、1961年クレージュ設立に至りました。

アンドレクレージュは同時代に活躍していた Paco Rabanne(パコ・ラバンヌ)や Pierre Cardin(ピエール・カルダン)と共に宇宙旅行から着想を得た未来的なスタイルで、 1960年代のファッションに変革をもたらしたのです。

クチュールとデザインの世界に革命をもたらし、ファッションの制約から女性を解放した伝説的存在として知られ、「未来派のバレンシアガ」や「パリ・オート・クチュールのル・コルビュジエ」と呼ばれました。

ブランドとしてのクレージュのあゆみ

1960年代~1980年代のクレージュ

1961年パリのクレベール通りにサロンを開設
1964年

「The Moon Girl」コレクションにて「パンタロンルック」や「ロングブーツ」発表。

後に<スペースエイジ>ファッションと呼ばれるスタイルで一躍注目を浴びました。

1965年「ミニルック」発表
 ミニスカートの爆発的なブームに伴って粗悪なコピーが氾濫しクレージュは3シーズンにわたり活動を休止
1967年「ボディタイツ」発表
1971年香水ライン発売スタート
1972年ミュンヘンオリンピックの制服デザイン担当
1973年メンズの香水ライン「クレージュ・オム」発売
1982年提携企業のロレアルとの関係がもつれ、コレクションの発表ができず、徐々に財政難に。
 その後クチュール・メゾンの呼称を失い、会社経営権とブランドの権利をイトキン社へ譲渡するなど80年代はクレージュにとっては困難な時代に。
1987年長年の功績を讃えられ「レジヨン・ドヌール勲章」受章

1990年代のクレージュ

1990年代徐々にクレージュブランドの建て直しが始まる
1993年イトキンへ譲渡した会社経営権とブランド権利を買い戻す。
1993年~1994年カステルバジャックによるコレクションを再開
1996年香水クレージュのブランド権利を買い戻し、翌年、香水「2020」を発売。

*カステルバジャック貴族デザイナーのジャン・シャルルド・カステルバジャック氏のシグネチャーブランドです。 

2000年代のクレージュ

2016年長年パーキンソン病に悩まされていたアンドレ・クレージュがこの世を去る。
2018年新アーティスティック ディレクターにはジョルジオ アルマーニ、クロエなどで活躍してきたヨランダ・ツォーベル(Yolanda Zobel)が就任。
2020年ヨランダ・ツォーベルが2020-21年秋冬コレクションをもって退任。
 バレンシアガ、DIOR、ルイヴィトンで経験を積んだニコラス・デ・フェリーチェがアーティスティック・ディレクターに就任。クレージュのレガシーを現代的な視点で継承。

クレージュのデザイン歴史

1961年

初コレクションのデザインは造形的。ミニを基調とした明るいイメージかつ動きやすい機能性を持たせたもの。

最初の4シーズンはバレンシアガの影響を強く受けたものでそれ以後はソフトで軽やかな傾向。

1964年

スポーティで機能的な傾向。

「パンタロンルック」をイヴニングドレスとして提案。

1965年

「ミニ・ルック」とよばれるミニ・スカートを発表。

それまでオート・クチュールでは最も醜い身体部分とされてきた膝頭を解放。

1967年のちにクレージュの定番アイテムとなった伸縮性に優れた「ボディータイツ」などを発表。
1973年徐々にメゾンの体勢をオート・クチュールからプレタ・ポルテへとシフト。
1976年オート・クチュールとプレタ・ポルテの2部門にし、プレタ・ポルテ、アクセサリー、雑貨類などライセンス商品をすべて直営工場で製造する体制を採用
  

モードの大衆化を推進するスタンスをとりつつも品質にこだわっていきました。

アンドレクレージュの代表作

クレージュのアイコンアイテムは台形シルエットのミニドレスです。

1965年のミニスカートと平底ブーツ、1967年の全身網タイツ、1972年のシー・スルーの上衣などが有名です。

数あるアイコンの中でも、日本にまでブームが波及したのがミニスカートです。

膝を露わにしたスカートは、従来のオートクチュールにはない革新的なデザインとして男女平等の観点からも大きな影響を与えました。

クレージュはいつ流行った?

クレージュを一躍有名にしたのは 1964 年春夏の<The Moon Girl>コレクションです。

後に<スペースエイジ・ファッション>と呼ばれるスタイルの先駆けでした。

スペースエイジとは?

『スペースエイジ』とは、1960~1970年代(ミッドセンチュリー)に宇宙開発への憧れとともに数々の名作が世に送り出された時代のことを言います。

1961年にジョン・F・ケネディが人間をに到達させるとの声明を発表し、1969年にアポロ11号による月面着陸成功しました。

1968年に公開されたSF映画の「2001年宇宙の旅」の中でも宇宙服や宇宙っぽいデザインのインテリアが出てくるのも印象的です。

もう解体されてしまいましたが銀座8丁目にあった黒川紀章氏の中銀カプセルタワーも宇宙船が原点のようです。

人々が宇宙への憧れがインテリアやファッションにまで影響するようになった時代でした。

日本でのライセンス、販売

1982年に提携企業のロレアルとの関係がもつれ、コレクションの発表ができず、徐々に財政難に陥り、会社経営権とブランドの権利をイトキン社へ譲り渡してしまいました。

1980年代から2016年の春夏コレクションまでは日本での販売はイトキンが担っていました。

1990年代になるとクレージュは巻き返し、1993年にイトキンへ譲渡した会社経営権とブランド権利を買い戻しました。

1993年~2016年はイトキンがライセンスを持つ形で日本で販売していました。

しかしイトキンも業績が低迷し、2016年にクレージュとのライセンス事業を終了しました。

2013年にはグンゼともライセンス契約を結びました。

この契約によってグンゼ株式会社は「COURREGES(クレージュ)」のレッグウエアを製造・販売する権利を取得し、2013年3月より2013年春夏商品を発売しました。

グンゼ株式会社は「COURREGES(クレージュ)」のブランドコンセプトをレッグウエアに具現化し、両社での新たなレッグウエアトレンドを提案しました。

以前のクレージュとクレージュ21の違い

対象年齢やコンセプトの違いがあり、クレージュ21の方が若者向け、クレージュが大人向けでした。

クレージュのタグは白地に黒、クレージュ21のタグは白地に赤でした。

でも実際にはデザインにはそれほど差がなかったように記憶しています。

21には21世紀という意味がこめられていました。

管理人が持っている唯一のクレージュ製品

クレージュのピンクのダッフルコート

私が持っているクレージュの製品はピンクのダッフルコートのみです。

2000年くらいに西武池袋のクレージュで購入しました。

元値はけっこうお高くて手が出ず、バーゲンで半額になるのを待ってたしか8万くらいで入手したかと思います。

さすがにお値段がお値段なのでとても縫製がよく、着てみるとピンクでも子供っぽくならず、とても立体的ですっきりと着こなせる優秀なダッフルココートです。

その後もこのようなきれいなピンクのコートには出会えず、何十年も大事に着用しております。

そもそもピンクのダッフルコートが欲しくなったのは、当時流行っていたクラッシィの読者モデルの関西セレブの方がピンクのダッフルをお召しになっていて憧れたからでした。(彼女のコートはモンゴメリのものでした)

こちらで記事にしています⇒

かなりあちこち探してやっと巡り合えたのがクレージュのこのダッフルでした。

ピンクのダッフルコート
ピンクのダッフルコート

今年はこんな感じで合わせようと思っています。

最近のクレージュはどんなデザイン?

2022 年秋冬の「Re-Edition」コレクションは60 年代風のゴーグル、構造的なアウターウェア、スクエアネックのトップスなど、スペースエイジのアイデンティティを忠実に再現しています。

なぜ再ブームとなったのか?

近年、Dua Lipa(デュア・リパ)や Ariana Grande(アリアナ・グランデ)、Anya Taylor-Joy(アニャ・テイラー=ジョイ)といった数多くの人気セレブリティがクレージュのアイテムを着用しており、若者を中心にじわじわとクレージュの人気が再燃。

また、クレージュのヴィンテージアイテムが TikTok で人気を集めていたことも、同ブランドの人気復活につながりました。

ヴィンテージの古着は争奪戦だそうです。

また全盛期のルックを復活させた 2022 年秋冬の「Re-Edition」コレクションはインターネット上で大きな話題を集めました。

なんといってもバレンシアガ、DIOR、ルイヴィトンで経験を積んだニコラス・デ・フェリーチェがアーティスティック・ディレクターに就任したことが大きいと思います。

スペースエイジがとてつもなくエモくて新しい⁈

新生クレージュのデザイナーがルイヴィトン出身であり、元々のブランドイメージも良く、とにかくデザインも縫製も良いので人気再燃で再ブームはとてもよくわかるのですが、なぜ今スペースエイジファッション再来なのかと思い、色々探ってみました。

インスタ、TikTokを見ていくと、「エモい」というキーワードが見えてきました。

「エモい」とは英語の「emotional」を由来とした「感情が動かされた」状態を表すスラングです。

いま、なぜ若者、Z世代がエモさを求めるのか?

Z世代は生まれた時からのネットネイティブであり、スマホひとつでなんでも揃い、スペースエイジに人々が夢見た宇宙へさえもお金さえあれば誰でも行けてしまう。

なんでも揃ってしまった一見完全な時代。

人間というものは完全、完璧すぎるとどこか冷たさや寂しさを感じ、その心の隙間を埋めるために懐かしさやエモさを求めるのかと思います。

親世代が生まれた1960年代にデザインされたファッションを身にまとうことでスペースエイジを追体験し、共有することで完全すぎて不完全な時代のすき間を埋めようとしているようにも見えます。

「月は満月よりも、幾分欠けているほうが風情がある」という清少納言の言葉があります。

少し足りないものへの美しさを認める日本人独特の感性かもしれませんが。

奥ゆかしさのような引き算の美しさ。

1960年代の不自由なアナログ感は今の時代に生きる若者にとってはないものねだりなのかもしれません。

現在はクレージュはどこで買える?

日本での旗艦店はまだなく、

クレージュ公式通販

FARFETCH

正規通販サイト

BUYMA

などで購入できます。

ミニスカやピタピタのTシャツは厳しいのですが、コートなどはシルエットもよくシンプルなので大人でも着こなせるかと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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